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今日は何の日?-坂本龍馬、脱藩-
こんにちわ、黒船乗組員2号です☆

文久2年(1862年)の今日3月24日は、坂本龍馬が土佐を脱藩した日です。

子供の頃は弱虫で学問も出来なかった龍馬ですが、2度の江戸への剣術修行や武市半平太の土佐勤王党への加盟、直前の長州での久坂玄瑞との面会などを経て、「このまま土佐にいてもダメだ!」と思った龍馬はとうとう脱藩を決意します。


この日、花見を装って出かけた龍馬は、途中で沢村惣之丞と落ち合って一路西へジョギング

土佐城下を出て西へ進み、梼原を通って伊予へ入り、大州から瀬戸内海を渡って長州へ入るという脱藩ルートです。

ざっくり辿るとこんなかんじ。



当時は電車もないのでもちろんオール徒歩!

しかも脱藩=犯罪なので人目につかないよう険しい夜の山道をひたすら進む!

かなりハードだったんだろうな〜汗


途中の梼原で志士仲間の那須信吾の家に泊まり、そこから彼の案内で伊予まで行きますが、那須はその時は脱藩せずに一旦土佐へ戻り、その後土佐藩参政の吉田東洋を暗殺したのちに脱藩。

吉田東洋の暗殺は4月8日で龍馬の脱藩から間もなかったため、これに龍馬も関わったと思われ、その後龍馬は下手人として土佐藩から追われることとなるのでした…


というわけで無事(?)脱藩した龍馬ですが、ここから彼の人生の怒濤のような日々が始まります!

きっと龍馬は「自由の身だ!」という清々しい思いと、「これから何をしてやろう」という意気込みでワクワクしてたんだろうな〜ニコニコ


私はまだ土佐には行ったことがないので、ぜひ行って、実際に龍馬が通った脱藩の道をたどってみたいな〜、なんて思いました☆

ちなみに梼原では龍馬脱藩の道を、志士の扮装をしたガイドの方が案内してくれるツアーがあるそうですよ♪

山歩きはキツそうだけど、いろんな話が聞けそうで楽しそうですね!

興味のある方はぜひグッド



| 黒船乗組員2号 | 今日は何の日? | comments(0) | trackbacks(0) |
今日は何の日?-新選組結成-
こんにちわ、黒船乗組員2号です☆

文久3年(1863年)の3月12日は、清河八郎の浪士組から離脱した近藤勇、芹沢鴨たちが、正式に会津藩のお預かりとなった日です。

将軍警護の名目で集められ江戸からやってきた浪士組でしたが、京へつくや否や清河八郎が「浪士組は攘夷の先鋒として朝廷へ差し出す!」とか言い出したもんだから、「将軍を警護しにきたのにそれでは筋が通らない!」として近藤一派と芹沢一派は浪士組から離脱。

しかし、抜けたはいいけどそのままじゃただの浪士になってしまうので、当時の京都守護職だった会津藩主松平容保に「雇ってください!」と頼み、それが聞き入れられてめでたく会津藩お預かりとなったのが3月12日でした。

この時のメンバーがのちの新選組の軸となってゆく近藤派試衛館組と芹沢派たちだったのです。


「新選組が結成された日」という明確な日はありませんが、いつが一番ふさわしいかと考えるとやっぱり今日なのかな〜、と思います。

ちなみにこの時点ではまだ「新選組」という名前ではなく「壬生浪士組」やら「精忠浪士組」といっていて、「新選組」になったのはその年の8月でした。



新選組の最初の屯所となった八木家



| 黒船乗組員2号 | 今日は何の日? | comments(0) | trackbacks(0) |
今日は何の日?-新選組、山南敬助命日-
こんにちわ、黒船乗組員2号です☆


元治二年(1865年)の今日2月23日は、新選組総長「山南敬助」の命日です。


新選組の中では江戸試衛館時代からの古株で、「鬼の副長」土方に対して「仏の副長」と呼ばれていた山南さん。

北辰一刀流の免許皆伝でウデも立ち、しかも学問があり頭もよく温厚な性格だったため、局長はじめ隊士たちからの信頼も厚かったようです。

しかしなぜか局を脱走した山南さんはこの日、その咎で切腹することとなったのです。


脱走した理由は分かっていませんが(本当に脱走したのかどうかもナゾ)、土方副長との確執や、もともと北辰一刀流出のこともあり尊王攘夷思想だった山南さんが、どんどん佐幕化してしまった新選組に疑問を感じ、その葛藤の中で新選組に居続けることに耐えきれなくなって逃げ出してしまったのかもしれません。

また、ある時期からぱったりと行軍録から名前が消えていて池田屋事件にも参加していないことから、けがか病気のため戦いに参加できない状態が続き、そのことから自分の居場所を失ってしまい徐々に追いつめられて脱走に至ったのかもしれません。


真面目で心のやさしい山南さんの苦悩と葛藤を思うと、本当にこれしか道はなかったんだろうかとなんとも切なくてやりきれない気持ちになります…悲しい

近藤局長や土方副長にしてもきっと昔からの仲間だった山南さんを切腹させたくはなかっただろうけど、だからといって局中法度を無視して山南さんを守れば局の統制を乱すことになってしまいます。

どちらの気持ちを考えてもほんとにやるせない…


また、切腹直前の恋人「明里」との出窓越しの別れは有名ですが、明里がどんな思いで山南さんを送ったのか考えるだけでも涙がでてきてしまいます…悲しい悲しい


そしてこの日2月23日は、ちょうど2年前に新選組が京へやって来たその日だったというのもなにかしら運命的なものを感じてしまうのでした…



当時の新選組屯所だった八木邸


明里と最後の別れをした出窓があった前川邸の壁

| 黒船乗組員2号 | 今日は何の日? | comments(0) | trackbacks(0) |
今日は何の日?-浪士組(のちの新選組)江戸出発-
こんにちわ、黒船乗組員2号です☆

文久三年(1863年)の今日2月8日は、のちの新選組の元となる浪士組が江戸から京都へ向かって出発した日ですジョギングプシュー

出羽の清河八郎の提案で、京都の治安を守り将軍上洛の警護のために幕府によって小石川の伝通院に集まった浪士たちの総勢は234人!

その中にのちの新選組となる近藤勇率いる試衛館一派(土方歳三、沖田総司、山南敬助、永倉新八、原田左之助、斉藤一、藤堂平助、井上源三郎)もいました。

きっと彼らは「京で一旗揚げてやる!」という熱い気持ちで江戸を出発したんだろうな〜ニコニコ


というわけで今日はワタクシ黒船乗組員2号、近藤さんたちが試衛館道場を出発して集合場所の伝通院に向かって歩いたであろう道をたどってみました♪


〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜


まずは試衛館を探して市谷柳町へ。

といってもすでに道場はないし、どこにあったのかも実は定かではないんですね〜。

でも色々な文献に「牛込甲羅屋敷」「市ヶ谷柳町坂上」「市ヶ谷加賀屋敷柳町」など試衛館の場所を示す記述があって、総合的に考えると現在の市谷柳町交差点付近みたいです。

果たしてこんなユルい情報だけで見つかるんだろうか…汗

とちょっぴり不安を覚えつつもあたりの路地をうろうろしていると…


あった!!!

試衛館跡地の碑だー!!!



住所で言うと市ヶ谷甲良町1丁目、たしかに坂の上に試衛館跡地の碑を発見!

駐車場脇の小道端にひっそりと建っていました。



昔の面影はなさそうだなーと思ってまわりを見渡してみると、小道の奥に古びた鳥居と社の抜け殻が…(写真の左奥にちらっと写ってる)

幕末の頃にこの社があったかどうかは分かりませんが、そういえば「新選組!」のドラマの中ではありましたね!

ドラマの中の風景と実際の町並みを比べつつ、当時の試衛館に思いを馳せてみました…ポッ


↓試衛館跡地の場所はココ↓



〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜


さて、試衛館が見つかったら次は近藤さんたちのマネをして伝通院まで歩くのだ!

伝通院はいまでもあるからすぐ分かる♪

この辺りの江戸当時の地図を見る限り外苑東通りらしきものはなかったけど、大久保通りっぽい道があったので、とりあえず大久保通りを東へ。

↓こんなルートを辿ってみました↓



すたすた歩いて約40分かかったけど、きっと当時の人たちは健脚だったろうから30分もかからないのかも…たらーっ

というわけで伝通院に到着!

と思ったら思いっきり工事してるー!!



一応境内には入れたけど建物は新しくて当時の面影はなさそうでした〜。



あ、でもこの鐘は古そうだから当時からあったのかも!?



〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜


というわけで、京都へ出発する近藤さんたちのマネをして市谷柳町の試衛館から小石川の伝通院まで歩いてみました♪

ここから浪士組は中山道を通って京へ向かうわけですが、すでにワタクシ黒船乗組員2号は体力の限界なのでここまでで勘弁してください(笑)

そりではまた〜ピピピ

| 黒船乗組員2号 | 今日は何の日? | comments(0) | trackbacks(0) |
今日は何の日?-龍馬、寺田屋にて襲撃される-
こんにちわ、黒船乗組員(スタッフ)2号です!

前回、薩長同盟締結について書きましたが、今日はその翌々日、1866年(慶応2年)1月23日のお話です。


京都の薩摩藩邸での薩長同盟締結を見届けた坂本龍馬はこの日、伏見の寺田屋へ戻ります。

深夜、2階の部屋で長州の三吉慎蔵と話し込んでいましたが、その頃外では伏見奉行所の捕手が龍馬を捕らえるべく、寺田屋のまわりを取り囲んでいました。

ちょうど1階のお風呂に入っていたおりょうが表の異変に気づき、あわてて何も着ないまま2階に駆け上がって龍馬たちに急を伝えます。

まもなく奉行所の捕手が踏み込んできて戦闘に…!

龍馬は高杉晋作からもらった拳銃スミス&ウェッソンで応戦!銃

この時龍馬は刀で斬りつけられ手を負傷してしまいますが、スキを見て階下へ降り、隣家の雨戸をぶち破って通り抜け、なんとか寺田屋を脱出することに成功!GO!

そして近くの材木小屋に隠れますが、負傷した龍馬はそれ以上逃げることができません…

このまま夜が明けたらすぐ見つかってしまう…汗

そこで怪我を負っていない三吉慎蔵がひとりで伏見の薩摩屋敷まで応援を求めに走ることにGO!

三吉慎蔵は無事薩摩屋敷に辿り着くことができ、薩摩の人たちが助けに来てくれてなんとか龍馬は捕手から逃げることができたのです拍手


いや〜、なんという生命力と運の強さ!

もしここで龍馬がやられていたらこの後の歴史は大きく変わっていたに違いありません汗

そう思うとほんとに逃げることができてよかったな〜と改めて思いますねラッキー


しかし、龍馬の怪我は思ったよりも大変なもので、この後ひと月以上寝込むことになります。

そして傷が癒えた3月頃、西郷どんのすすめで薩摩に旅行に行くことに…

これ旅行が日本で最初の新婚旅行となるのですねラブラブ

たぶんこの時期が、激動の龍馬の半生の中で唯一安らかな時間だったんじゃないかな〜と思いましたニコニコ




龍馬が定宿としていた伏見の寺田屋



龍馬の部屋



おりょうが入っていた風呂



龍馬が使ったスミス&ウェッソンをモチーフにしたTシャツ




| 黒船乗組員2号 | 今日は何の日? | comments(0) | trackbacks(0) |
今日は何の日?-薩長同盟締結-
こんにちわ、黒船乗組員(スタッフ)2号です☆

1866年(慶応2年)の今日、1月21日は「薩長同盟」が締結された日ですマル秘

薩摩の西郷隆盛、長州の桂小五郎、そして坂本龍馬という維新の重要人物3人を中心にしてこの同盟が締結され、以後維新回天への道が開けていくことになります。

でもこの「薩長同盟」は簡単に成立した訳ではなく、締結されるまでに様々な困難がありました。


まず薩摩と長州はとても仲が悪かった汗

長州は過激な尊王倒幕活動のため朝敵とされ幕府からやっつけられようとしていて、薩摩はこのとき幕府側について長州を攻撃していました。

でも坂本龍馬や中岡慎太郎などは
「幕府を倒して新しい世の中を作るには薩長が手を握らなければダメだ!」
との思いで必死に両方の説得を行い、やっとの思いで同盟締結のための会談をセッティングします。

龍馬は桂小五郎を説得し、中岡慎太郎が西郷どんを説得し、下関で会談すべく桂は西郷の到着を待ちました。

しかし…

結局来たのは中岡ひとりだけ。

西郷どんは途中まで来たものの直前でドタキャンしてしまったのです汗

こうして最初の話し合いは失敗…撃沈


しかし龍馬たちは諦めずまたまた両者を説得、今度は京都の薩摩藩邸で会談を開くことになりました。

桂小五郎は長州から京都へのぼり、薩摩藩邸についたのが1月8日。

そこでさっそく西郷らとの会合が開かれますが、どちらも薩長同盟について切り出しません。

結局その日は同盟について話し合われることはなく、そのまま会合は終了。

翌日も話し合いの場が持たれますがまた同様に終了。

そんなこんなであっという間に日が過ぎ1月20日、遅れて龍馬が京都入りしますGO!


龍馬はまず桂に会いますが、桂は
「薩摩がぜんぜん同盟の話を切り出してこない!自分は侮辱されている!」
と怒りをぶちまけます。

これに対し龍馬は
「自分や藩のメンツばかりでなくもっと日本の未来のことを考えろ」
と一喝。

桂も考えを改め、再び西郷と会談することを約束します。


続いて龍馬は西郷に会い、桂たち長州側の境遇や心情を伝え
「桂がかわいそうだ。薩摩から歩み寄ってやれ」
と言うと西郷も納得。

そして西郷が桂のもとへ会いに行き、再び会合が開かれ、とうとう薩長同盟が結ばれることとなったのです拍手


こんなかんじで様々な困難を乗り越えてようやく締結された薩長同盟!

間を取り持つ龍馬たちの苦労はきっと大変なものだったでしょうね…汗

西郷も桂もお互い手を結んだほうがいいということは頭では分かっていても心情的に納得できない。

だからなかなか同盟に踏み切れなかったけど、龍馬が間に入ることによってお互いのわだかまりが解けた…

龍馬という人にはなにか天性の愛嬌のようなものがあって、
「こいつがそういうなら」
っていうかんじでみんな彼のペースに引きずられていくのかな〜と思いましたニコニコ


というわけで無事に薩長同盟が成立し、ほっとした龍馬でしたが…

次なる困難が彼を待ち構えていました!!


〈つづく〉


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今日は何の日?-油小路の変-
こんにちわ、黒船乗組員(スタッフ)2号です!

1867年の今日、11月18日。

坂本龍馬の死から三日後のこと。

京の七条油小路で元新選組参謀、伊東甲子太郎が暗殺されました。

その頃伊東は新選組から分離して「御陵衛士」を組織していましたが、近藤勇を暗殺して新選組をのっとろうとの計画が新選組側にもれ逆に暗殺されてしまった、という事件です。

伊東甲子太郎は龍馬や近藤のように写真がないのですが、残っている絵からはたしかに言われているように容姿端麗でおだやかそうな雰囲気が感じられますよねニコニコ

さらに時勢にも詳しく、北辰一刀流の免許皆伝と文武両道!

う〜ん、想像しただけでもカッコいいラブラブ

オトコくさい新選組の中ではかなり異色な人物ですが、現代の女子を引きつける要素は文句ナシ!

あ〜、写真が残ってないのがほんと悔やまれます…(笑)

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今日は何の日?-坂本龍馬誕生日&命日-
こんにちわ!黒船乗組員(スタッフ)2号です。

今日11月15日は坂本龍馬の誕生日であり、そして33年の短い生涯に幕を閉じた命日でもありますね。

この時期、龍馬ゆかりの各地ではいろいろな催し物なんかが開催されているので、見に行ったりした方も多いのではないでしょうか嬉しい

かく言う私も先日京都へ行った際、ちょっとばかし龍馬の軌跡をたどって町歩きをしてきましたよ♪


まずは伏見まで足を伸ばして旅籠「寺田屋」へ。



ここは龍馬が定宿としていたところで、いまでも当時の面影を残している数少ないところです。

ある日の深夜、恋人のおりょうさんがお風呂に入っていた時に表の異変に気づき、服も着ないまま2階に駆け上がって龍馬に「幕府の役人が来た」と伝え、龍馬は危うく難を逃れた。という話は有名ですね。

そのお風呂がこちら↓



そしておりょうさんが駆け上がった裏階段↓



龍馬のいた部屋↓



奥の窓から龍馬たちは逃げたんでしょうかGO!

こんなふうに実際に歴史上の出来事があったところをナマで見ることができるなんて、テンション上がりますよね!

そして1階にはこんな写真が!



私が大好きな三谷幸喜の「新選組!」の土方歳三と島田魁だー!

さらにテンション上がっちゃいました(笑)

ちなみにこちらの寺田屋にはいまでも宿泊することができるので興味のある方はぜひ☆


さて、お次ぎは市内に戻って河原町付近をぶらぶら。

この辺りはいろんな事件や建物があったりしたところですが、残念ながら現存している建物はほとんどなく、ひっそりと碑が建っているくらいです。

とくに高瀬川沿いにはいろいろありましたが、ほんとにひっそり建っているので注意してないと見過ごしそうなのもいっぱいでした。



土佐藩邸跡はわりと立派ですぐ気づきました。

龍馬もこの辺りをぶらぶらしてたのかな〜。


そして河原町通沿いには、1867年の今日11月15日、龍馬が暗殺された「近江屋」跡に碑がありました。



こちらはかなり立派に祀られていました。

でもコンビニの目の前…汗




それから幕末の資料がたくさん揃っている東山の「霊山歴史館」へ。



ちょうど龍馬の命日を挟んで特別展「龍馬たちの挑戦」をやっていて、興味深い資料やCG映像がいっぱい!

でもじっくり見てたらあっという間に閉館時間になっちゃって、結局全部は見られませんでした…悲しい

そして外に出るとあたりはすっかり真っ暗月

隣接する霊山護国神社にある龍馬と中岡慎太郎のお墓にも行こうと思ってたのに、もう閉まっちゃってて行けず…汗




とまあこんなかんじで、当時の京に思いを馳せつつ龍馬の軌跡をざっくりと追ってみました♪

霊山歴史館はなかなか見応えがあったので、幕末に興味のある方はぜひ行ってみてください!

11月23日までやってますよ〜グッド
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